秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々/アニメーション映画の系譜

KUNIHARU AKIYAMA / 秋山邦晴

マエストロたちはどのように映画の音をつくってきたのか?

KUNIHARU AKIYAMA / 秋山邦晴 / 秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々/アニメーション映画の系譜

「キネマ旬報」伝説の連載「日本の映画音楽史を形作る人々」( 戦前~戦後編) を、「 アニメーション映画の系譜 」篇も含めて収録。

武満徹、伊福部昭、 黛敏郎、佐藤勝、 芥川也寸志、 林光ほか、当時現役で活躍中だった音楽家たちの生の声を収録。監督の演出術にも及ぶ本格的な「映画音楽評論・史論」でありながら、平易な文体で映画を語る喜びに満ち溢れた、映画ファン必読の最重要文献。
秋山邦晴夫人・高橋アキさんインタヴューも新録。

「戦前からの日本の作曲家たちがこころみた映画音楽への創造をぼくなりに追ってみた、これはひとつのささやかなマニフェストでもある」-ー秋山邦晴

 

エリック・サティ覚え書

  




昭和の作曲家たち

現代からは断ち切られたように見える戦前の作曲家たちが、どのような状況にあって、
どのように考え、作曲してきたのか。

     菅原明朗、諸井三郎、中原中也、内海誓一郎、石川義一、伊藤昇、原太郎、守田正義、
     露木次男、吉田隆子、清瀬保二、松平頼則、山根銀二、宮沢縦
一、一條重美、永井荷風、
     早坂文雄…、楽団スルヤ、プロレタリア音楽活動、新興作曲家聯盟…、多くの個人、グループ、
      そして幅広く史資料を渉猟し、ひとつひとつの作品にあたり直し、作曲家たちの行動を明らかにして行く。
      西欧の新しい技法を身につけることを求められ、一方では自分たちの日本の音楽を模索する作曲家
      たちの前に、立ちはだかった大政翼賛体制が突きつけてきたものは何だったのか。
      音楽家たちの戦争責任を問いつつ、日本の現代音楽の歴史を問い直す意欲作。

     「若い戦後派の作曲家たちにとって戦前の作曲界の遺産は自分たちに無力のものとして
     感じられたのは事実であった。かれらの新しい出発にあってそれは当然なことであった…だが、
     ある時代の挫折はまた後の時代に繰り返される。同じ矛盾をいつまでもひきずっているということにも
     気づかない。そんな過ちを自分の内部にもひそませていることになりはしないか。ぼくは、あらためて
     日本の作曲界の半世紀の歩みをいま確かめ直してみようと考える」
 
 
 
シネ・ミュージック講座  

  


Alban Berg
ベルク年報



 

日本の作曲家たち 戦後から真の戦後的な未来へ 上下巻揃 秋山邦晴


現代音楽をどう聴くか




秋山邦晴が亡くなったのは、もう一昔も前のことになってしまった。武満徹の同伴者として、現代音楽の優れたチチェローネ(水先案内人)として、氏がはたした功績は大きい。わたしの専攻である映画史の立場からしてみれば、彼が武満と協力して小林正樹の『怪談』のために準備した音楽は、世界の映画音楽史上において記念碑的な意味を持っている。また彼が日本の映画音楽史について残した研究は、基本文献となって久しい。

『現代音楽をどう聴くか』は、1973年に晶文社から刊行された。当時、日本中で聴衆が300人しかいないと陰口を叩かれていた現代音楽について、彼がそれまでの数年間にわたって執筆してきた論文を集めたものである。それはフリージャズが終焉を遂げ、ロックに飽きが来ていたわたしには、絶好の入門書だった、わたしはこの書物を通してクセナキスやケージを知ったし、エリック・サティという風変わりな作曲家の存在を知った。それはさながら未知の天体を顕微鏡で捜し求めることに似ていた。

ちなみにこの書物が刊行されたしばらく後に、秋山夫人である高橋アキが3枚組のLP『高橋アキの世界』を発表した。わたしの世代にとってそれは、それまで未知の存在であったクセナキスやベリオ、さらに石井眞木やら高橋悠治といった若い日本の作曲家を知るのに、水先案内人的な役割をはたした作品集であった。秋山邦晴が批評し分析した作曲家について、高橋アキのピアノを通して復習をすることで、わたしはロックとジャズの世界から現代音楽の世界へと、すらりと移行することができた。これはやはり幸運な音楽的遍歴というべきものだろう。

ずっと後になって秋山さんとは、ボウルズとトムソンというアメリカの作曲家のことで、座談会の卓を囲んだことがあった。繊細だが頼もしいところのある人という印象があった。

よく西洋近代音楽の愛好家を自称する学生から、「現代音楽って聴けたものじゃありませんよねえ」といわれるたびに、わたしはつい問いただしてみたくなる。「いったい君のいう現代音楽って、具体的に誰のことだね?」学生は答えられない。周囲の大人の口真似だけをして、実際にクセナキスもグラスも聴いたことがないからだ。こうした学生を知るたびにわたしは、日本人の音楽受容の幅の薄さと背後の文化的貧しさを情けなく思う。

50歳を過ぎてから付け焼刃で現代音楽や現代美術に向かってみても、心が無理をするだけで少しも面白くないだろう。同時代の芸術に接するには、もっと若くして感受性が柔軟なときでないといけない。わたしは映画における淀川長治さんのような優れた媒介者を、現代音楽の業界が持ちえてほしいと思う。そのたびに思い出されるのは、秋山さんのことだ。