エリック・サティ覚え書

 

 吉田秀和賞受賞
サティの全貌
現代音楽の冒険



あとがき

秋山邦晴著 「エリック・サティ覚え書」復刊に寄せて
高橋アキ
(2005年10月)

夫の秋山邦晴が世を去って早や9年が過ぎた。
肩書きは音楽評論家であったが、単に原稿のなかだけの批評ではなく、常にあらゆる音楽を今日の問題として捉えて批評し行動する異色の評論家であった。
そして才能ある作曲家たちを実に早い時点で発見し積極的に紹介し、またできる限り創造の現場に立ち会い行動も共にして生きた人だった。
本書が捧げられているジョン・ケージにも早くから注目し、何と1952年から文通を始めている。
そのケージと秋山に私も加わって、1980年頃、確か軽井沢から東京に向かう汽車のなかだったと思うが、サティについて熱っぽく語り合ったシーンを懐かしく思い出す。
秋山のフルに行動し続けた一生のなかでは、彼が自分自身の著作をまとめるような時間は傍らで見ていても残念ながらあまりなかった。
(没後、「シネ・ミュージック講座」(フィルムアート社)と「昭和の作曲家たち」(「日本の作曲界の半世紀」の改題、みすず書房)が友人、知人たちの手によってまとめられ出版されたのはうれしいことだった。)
1990年に刊行された本書は本人がまとめた生前最後の著作であり、時間を見つけては心から楽しそうに取り組んでいた姿を思い出す。
中学生の頃からずっとサティを敬愛し続けてきたという秋山にとって、この本にはまた格別な思いがあったに違いない。
私自身、サティに興味を持ちながら資料もあまりなかった1969年に、「音楽芸術」誌上に掲載された秋山の長文のサティ論をむさぼり読んだ記憶がある。
その文章の冒頭には「ぼくはここ数年、サティについての小説的評論とでもいったものを書きたいと考えてきた」と記されている。
そんな長年の夢がほんの少し形を変えて本書に実ったのではないだろうか。
サティが「スポーツと気晴らし」の序文に書いているように、読者のみなさんが「この本の1ページ、1ページを微笑みをたたえながらめくって」くださることを願いつつ筆を擱く。
青土社




昭和の作曲家たち



太平洋戦争と音楽
 
秋山邦晴 著
林淑姫 編
みすず書房
 
最新の西欧技法をみにつけつつ自分たち日本の歌を書くこと。
近代日本の作曲家たちに求められた命題は重い。
そして大政翼賛の時代、彼らはどう生きたのか。現代史を音楽から見つめる意欲作。



書評

「時代」を誠実に復元
東京大学助教授 佐倉統
 / 読売新聞(2003年7月6日)


著者の秋山邦晴は、多彩な音楽評論家であり、音楽プロデューサーだった。この本は、彼が生前に単行本化することのなかった連載記事をまとめたもの(初出は1974年1月~78年12月)。
時代を感じさせる記述も見られるけれども、大勢の作曲家にインタビューし、楽譜を発掘し、関連文献を集めて、昭和初期の音楽家たちの思いと「時代」を重厚かつ誠実に復元した力業には、ただただ平伏する。
日本の作曲家たちの苦悩は、日本の音楽伝統と西洋の機能和声とを、どう折り合いをつけるかであった。豊富に引用されている譜例から、彼らの苦闘の跡をなぞることも可能だ。
この主題は、太平洋戦争中に国粋主義体制に組み込まれてしまった音楽たちをどう評価するか、へと展開していく。戦時翼賛体制に抵抗しなかった音楽評論家・山根銀二らを追及するくだりは、なかなかの迫力だ。
とはいえ、いちばんありがたいのは、時代と音楽の関係を把握するための基礎知識の源としてである。
プロレタリア音楽運動や「未来派」音楽の導入といった、今まで忘れられがちだった試みについて、ときに作曲家自身の生の声をまじえての詳細な記述は、貴重なことこのうえない。惜しむらくは、索引がほしかった。
秋山が常にいらだっているのは、音楽(家)と社会との遊離だ。明治期に洋楽の「技術」のみを導入し、背景となる基盤文化は無視された。だから、作曲家はエリート意識を持ちこそすれ、社会の動きと真摯に向き合うをしてこなかった。
文学や美術と比較しても、音楽周辺の状況の「遅れ」が際だつという。
これらと同じことは、自然科学についてもよく言われている。秋山の連載初出から三十年弱。日本の近代化、あるいは戦争と社会の関係について、いろいろな分野での比較検討が可能かつ必要な時期になったのかもしれない。
 


近代化への格闘、重厚な記述
東京大学教授 渡辺裕
 / 日本経済新聞(2003年5月25日)


文化研究の潮流が大きく変わりつつある中、第二次大戦前の日本の西洋文化受容を再検証しようという動きが盛んである。ともすると、現在にいたる直線的な「進歩」過程にある未熟で幼稚な段階であるかのようにみなされてきたこの時代に、様々な角度から光があてられつつある。
もっぱら西洋の「ホンモノ」を模倣し、追いつこうとしてきた歴史として描かれてきた音楽についても、明治以来、人々が西洋音楽という「異文化」と格闘し、何とか「日本文化」を構築しようとしてきた、様々な試みが見直されつつある。
本書はまさに、そういう視点から戦前の作曲家たちの活動を捉え返そうという、現代的な関心に答える研究なのだが、実はもう三十年近く前のものである。
戦後日本の現代音楽シーンをリードした評論家であった著者が没して七年になるが、本書の母胎は1974年から5年間にわたって音楽雑誌に連載されたもので、その後、著者が病床で原稿に加えた加筆修正なども盛り込んで再編集され、ようやく単行本として世に出たのである。
本書の目次を一瞥しただけで、これが書かれた時代の音楽界の状況からはかけ離れていたであろう、斬新な問題意識に驚かされる。
プロレタリア音楽運動、菅原明朗のオペラ『葛飾情話』、「日本的作曲」をめぐる論争など、近年になってようやくその重要性が注目されるようになったトピックが並んでいる。
特に興味深いのは音楽家の戦争責任の問題である。単に戦時協力した個人を糾弾するのでも、また、被害者として弁護するのでもなく、近代化にむけて格闘していた日本の音楽界全体のあり方にかかわる構造的な問題として事態を捉えようとする著者の姿勢には深い共感を覚える。
最近の文化研究の目からみると、議論がやや古めかしく映る部分もあるが、逆に、執筆の時点ではまだ存命されていた多くの関係者へのインタビューなどの貴重な資料が収録されており、その「厚い記述」には、最近の言説研究にはない、独自の味わいが感じられる。
日本の近代を考える上での貴重な一書となろう。




シネ・ミュージック講座



映画音楽の100年を聴く

秋山邦晴 +【ゲスト】武満徹 
フィルムアート社




Alban Berg



ベルク年報〔9〕1997-2000
秋山邦晴 特集
日本アルバン・ベルク協会